2008年 03月 31日
卒業 |
3月も末、桜が満開になり、春の訪れを感じるこの頃。
先日、つ南小学校の卒業式に行ってきた。
卒業式ということで、大学生の自分もフォーマルな格好をしようと、おろしたてのジャケットを着て訪れた。
11月に子ども達に出会って、約5ヶ月、微力ながらも子ども放送に関ってきて、彼らの卒業していく姿を見るのは、嬉しくもあり、少し寂しくも感じた。だぶだぶで少し大きめのスーツを着ている男の子3人の晴れ姿は、印象深かった。
「卒業おめでとう」、と言うと、「ありがとう」と笑顔で答える姿を見て、
ふと、彼らの小学校生活6年の中の思い出の中に、どれほど子ども放送局が残っているのだろうか、おおげさな言い方をすれば、自分たち、学生が、どれだけ彼らの中に、思い出として子ども放送局を残してあげられたか、と考えた。
「せっかく撮影したところがカットされて残念です」
「何回も取り直すのが大変でした」
彼らに完成した番組を見た感想を聞くと、期待に反して、開口一番に出てくるのがこの言葉だ。最初この言葉を聞いたときは、苦労が報われずがっかりしている姿を見て、気の毒に思えた。
確かに、少し言葉を噛んだだけで撮り直しをするし、見ず知らずの大人にはインタビューをしなくちゃいけない。おそらく彼らの人生の中で初めての経験であろうし、これからもそんな経験をすることなんてあるまい。
しかし、彼らは失敗や苦労した分だけ成長しているに違いない。
たとえば、インタビューの相手への反応やコメントが格段に上手になっていた。
11月の時は、打ち合わせをして、コメントまで考えていたのに、今回のクジラの時には、
1テイク目で初めてインタビューした相手にも関わらず、自然と上手なコメントをするようになっていた。
また、女の子の一人は、子ども放送局のことを卒業文集に綴っていた。彼女は、子ども放送局に参加する前は人前に出て、しゃべったりすることが苦手だったそうだ。しかし、放送局に参加して、友達やTAと、企画し、取材し、見知らぬ人にインタビューすることで、少しだけ人前に出ることが好きになったそうだ。
彼らの立ち居振る舞いや、しゃべり方が大人に近づき、コミュニケーション能力が成長していると思った。
もちろん、番組を企画・撮影・編集していく中で、普段見ているテレビが、彼らが予想していたよりも複雑な過程で作られていると、少しは情報を伝える側としての視点も得てくれたのだと思う。
上映会では、参加してくれた子ども達以外の6年生や3年生にも見てもらう機会があった。
参加者ではなく、一視聴者として子ども達の反応を聞けたことは、とても嬉しかったし、勉強になった。
「昭島が昔海だったなんて知らなかった」
という感想を聞くこともできた。番組を見ることで少しでも自分たちが住んでいる地域の歴史や文化に関する知識を深めてくれたのなら幸いだ。
また、「クジラって捕っていいんですか?」
という感想もあった。おそらく、子どもとしては素直に書いたつもりだあろうが、改めて捕鯨問題がはらむ問題性や時事性を実感した。
最後に、今回の上映会で番組を見た3年生の中に、子ども放送局に参加したZ君の弟がいた。その子の感想に、「自分も、6年生になったときは子ども放送局に参加したい」とあった。
卒業式でお会いしたZ君のお母様には、「弟も6年生になったら参加する気でおりますので、よろしくお願いします」という言葉もいただいた。
弟の子が6年生になるときは自分は、大学4年生だ。
彼が6年生になるときまで、昭島にまた何度も来ることができたらと思う。
先日、つ南小学校の卒業式に行ってきた。
卒業式ということで、大学生の自分もフォーマルな格好をしようと、おろしたてのジャケットを着て訪れた。
11月に子ども達に出会って、約5ヶ月、微力ながらも子ども放送に関ってきて、彼らの卒業していく姿を見るのは、嬉しくもあり、少し寂しくも感じた。だぶだぶで少し大きめのスーツを着ている男の子3人の晴れ姿は、印象深かった。
「卒業おめでとう」、と言うと、「ありがとう」と笑顔で答える姿を見て、
ふと、彼らの小学校生活6年の中の思い出の中に、どれほど子ども放送局が残っているのだろうか、おおげさな言い方をすれば、自分たち、学生が、どれだけ彼らの中に、思い出として子ども放送局を残してあげられたか、と考えた。
「せっかく撮影したところがカットされて残念です」
「何回も取り直すのが大変でした」
彼らに完成した番組を見た感想を聞くと、期待に反して、開口一番に出てくるのがこの言葉だ。最初この言葉を聞いたときは、苦労が報われずがっかりしている姿を見て、気の毒に思えた。
確かに、少し言葉を噛んだだけで撮り直しをするし、見ず知らずの大人にはインタビューをしなくちゃいけない。おそらく彼らの人生の中で初めての経験であろうし、これからもそんな経験をすることなんてあるまい。
しかし、彼らは失敗や苦労した分だけ成長しているに違いない。
たとえば、インタビューの相手への反応やコメントが格段に上手になっていた。
11月の時は、打ち合わせをして、コメントまで考えていたのに、今回のクジラの時には、
1テイク目で初めてインタビューした相手にも関わらず、自然と上手なコメントをするようになっていた。
また、女の子の一人は、子ども放送局のことを卒業文集に綴っていた。彼女は、子ども放送局に参加する前は人前に出て、しゃべったりすることが苦手だったそうだ。しかし、放送局に参加して、友達やTAと、企画し、取材し、見知らぬ人にインタビューすることで、少しだけ人前に出ることが好きになったそうだ。
彼らの立ち居振る舞いや、しゃべり方が大人に近づき、コミュニケーション能力が成長していると思った。
もちろん、番組を企画・撮影・編集していく中で、普段見ているテレビが、彼らが予想していたよりも複雑な過程で作られていると、少しは情報を伝える側としての視点も得てくれたのだと思う。
上映会では、参加してくれた子ども達以外の6年生や3年生にも見てもらう機会があった。
参加者ではなく、一視聴者として子ども達の反応を聞けたことは、とても嬉しかったし、勉強になった。
「昭島が昔海だったなんて知らなかった」
という感想を聞くこともできた。番組を見ることで少しでも自分たちが住んでいる地域の歴史や文化に関する知識を深めてくれたのなら幸いだ。
また、「クジラって捕っていいんですか?」
という感想もあった。おそらく、子どもとしては素直に書いたつもりだあろうが、改めて捕鯨問題がはらむ問題性や時事性を実感した。
最後に、今回の上映会で番組を見た3年生の中に、子ども放送局に参加したZ君の弟がいた。その子の感想に、「自分も、6年生になったときは子ども放送局に参加したい」とあった。
卒業式でお会いしたZ君のお母様には、「弟も6年生になったら参加する気でおりますので、よろしくお願いします」という言葉もいただいた。
弟の子が6年生になるときは自分は、大学4年生だ。
彼が6年生になるときまで、昭島にまた何度も来ることができたらと思う。
by matsuyama-nagoya
| 2008-03-31 04:03