2008年 07月 01日
草のみどり 原稿 |
草のみどりの原稿です。
「子ども放送局が残したもの」
三月末、桜が満開になり春の訪れを感じるころ、昭島市立つつじが丘南小学校の卒業式に行った。「子ども放送局」の制作に携わった小学六年生の卒業を祝うためだ。「おめでとう」と言うと、子どもたちは「ありがとう」と笑顔で答える。ふと、彼らの小学校生活六年間の思い出に、どれほど子ども放送局が残っているだろうかと考えた。すなわち、どれだけ彼らに思い出として子ども放送局を、私たち大学生が残してあげられたか、ということだ。
二月十六日・十七日の二日間、「第二回 昭島子ども放送局」が開催された。小学生が、地域の魅力を取材、企画、撮影、編集して一本のテレビ番組を制作する。大学生は、TA(Teaching Assistant)としてサポート役を務める。私が担当した班で取り上げたのは、「アキシマクジラ」である。昭和三六年、昭島市多摩川流域でクジラの化石が見つかった。番組では、クジラに密着した。内容は、子どもたちが発見者の息子さんへのインタビュー、化石の発掘現場、昭島市にあるクジラの看板などのレポート、そしてクジラの肉が売られている三多摩市場でのレポートである。
子どもに取材した感想を聞いた。「何回も取り直すのが大変でした」と開口一番にこの言葉が出てきた。取材では、見ず知らずの大人に対して、話を聞いて、コメントをする。レポートでは、上手くいかず何度も撮り直しをすることもある。また、撮影では大きなカメラを使って、被写体をうまくフレームで捉えなければいけない。撮影後は、本格的な編集ソフトを使用して構成を考えながら編集をする。おそらく人生の中で初めての経験であろうし、これからもそんな経験をすることはないだろう。普段は、何気なく「視聴者」としてテレビ番組を見ているはずだ。しかし、「発信者」として制作する今回の体験は、子どもたちにとって大変なものであった。
しかし、苦労したぶん、子どもたちが得たものは大きかったと思う。それは、子供たちの姿を見れば明らかだった。一回目の子ども放送局の時に比べて、臆することなく取材者の人にインタビューをしていた。しかも、撮り直しをしても、あきらめずに何度も真剣に撮影に取り組んでいた。「子ども放送局のおかげで人前に出るのが少し好きになった」と、卒業文集に残してくれた子もいた。
六年間の小学校生活の中で、子ども放送局の思い出は、かけがえのない貴重なものになっていると思う。むしろ、TAとして参加した私も、大学生活の大切な思い出となるフィードバックを彼らから得たような気がする。これから、子どもたちが番組制作に携わることは生涯を通してないかもしれない。でも、彼らの中で今回得た経験が生き続けてほしい。
そう心から願って、大きめでブカブカのスーツを着て、一回り大きく見える、いや、内面的にも成長を遂げた彼らの姿に別れを告げて、小学校を後にした。
「子ども放送局が残したもの」
三月末、桜が満開になり春の訪れを感じるころ、昭島市立つつじが丘南小学校の卒業式に行った。「子ども放送局」の制作に携わった小学六年生の卒業を祝うためだ。「おめでとう」と言うと、子どもたちは「ありがとう」と笑顔で答える。ふと、彼らの小学校生活六年間の思い出に、どれほど子ども放送局が残っているだろうかと考えた。すなわち、どれだけ彼らに思い出として子ども放送局を、私たち大学生が残してあげられたか、ということだ。
二月十六日・十七日の二日間、「第二回 昭島子ども放送局」が開催された。小学生が、地域の魅力を取材、企画、撮影、編集して一本のテレビ番組を制作する。大学生は、TA(Teaching Assistant)としてサポート役を務める。私が担当した班で取り上げたのは、「アキシマクジラ」である。昭和三六年、昭島市多摩川流域でクジラの化石が見つかった。番組では、クジラに密着した。内容は、子どもたちが発見者の息子さんへのインタビュー、化石の発掘現場、昭島市にあるクジラの看板などのレポート、そしてクジラの肉が売られている三多摩市場でのレポートである。
子どもに取材した感想を聞いた。「何回も取り直すのが大変でした」と開口一番にこの言葉が出てきた。取材では、見ず知らずの大人に対して、話を聞いて、コメントをする。レポートでは、上手くいかず何度も撮り直しをすることもある。また、撮影では大きなカメラを使って、被写体をうまくフレームで捉えなければいけない。撮影後は、本格的な編集ソフトを使用して構成を考えながら編集をする。おそらく人生の中で初めての経験であろうし、これからもそんな経験をすることはないだろう。普段は、何気なく「視聴者」としてテレビ番組を見ているはずだ。しかし、「発信者」として制作する今回の体験は、子どもたちにとって大変なものであった。
しかし、苦労したぶん、子どもたちが得たものは大きかったと思う。それは、子供たちの姿を見れば明らかだった。一回目の子ども放送局の時に比べて、臆することなく取材者の人にインタビューをしていた。しかも、撮り直しをしても、あきらめずに何度も真剣に撮影に取り組んでいた。「子ども放送局のおかげで人前に出るのが少し好きになった」と、卒業文集に残してくれた子もいた。
六年間の小学校生活の中で、子ども放送局の思い出は、かけがえのない貴重なものになっていると思う。むしろ、TAとして参加した私も、大学生活の大切な思い出となるフィードバックを彼らから得たような気がする。これから、子どもたちが番組制作に携わることは生涯を通してないかもしれない。でも、彼らの中で今回得た経験が生き続けてほしい。
そう心から願って、大きめでブカブカのスーツを着て、一回り大きく見える、いや、内面的にも成長を遂げた彼らの姿に別れを告げて、小学校を後にした。
by matsuyama-nagoya
| 2008-07-01 23:12