2008年 04月 18日
献血 |
人生で初めて献血をした。
年に数回、大学で実施していることは知っていたが、協力したくても、いつも時間がなくて、できなかった。
簡単な受付を済ませた後、医師の診察や検査をして、健康状態や血液の濃度や肝機能などが正常かどうかを調べる。肝機能に若干の異常があったが、献血には支障がなかったようだ。
小さいころから注射には慣れていたので抵抗はなかったのだが、さすがに針が体に刺さる時は「チクッ」として痛い。400mlの血液を排出した後は、休憩室へ通される。まだ、献血は終わりでない。献血後の立ちくらみやめまいを防ぐため、水分や栄養の補給をしないと帰らせてもらえない。
ジュースやクッキーやドーナツなどのお菓子を食べてから帰宅した。大好きな「ソイジョイ」もあったのには驚かせられた。新宿や立川の献血センターでは、アイスクリームや和菓子も提供されているということだ。
献血が、文字通り「血を献上する」という個人のボランティア・奉仕活動であり、飲食物などサービスが充実しているのには歴史的背景がある。
現在の様に、医療用の輸血がすべて献血で補われる制度が成立したのは1974年のことだ。1960年代までは、低所得者の労働者が、血を売ることで、高い金を得る「売血」が行われていた。
「売血」では、注射器の使い回しや麻薬常習者からの採血が常態化しているため、不衛生であり、肝炎や感染症のウィルスが混入する可能性が高かった。また、金がない者は売血を常習化し、血液の成分を生産する肝機能が追い付かず、黄色い血液が採取されることもあった。暴力団が仲買いとなって、民間血液銀行に渡り、医療の現場で輸血用として使用されていたのだ。
そこで、劣悪な状態を打破するきっかけとなったのが「黄色い血追放キャンペーン」だ。
「我、拗ね者にして生涯を閉ず」の作者・本田靖春は、読売記者時代に、売血が常態化している東京の山谷に乗り込んで、自ら売血を経験し、売血常習者との接触を試み、紙上で「売血」の実態や医療制度を告発した。
そのことが、きっかけとなり、他のマスメディアによる報道も増え、キャンペーンとなり、国が動き、現在の輸血制度が整備された。現在では、歴史上の反省を踏まえ、血による、金銭の授受を禁じ、感謝の意味も込めて粗品の贈呈や軽食の提供を行っている。
しかし、現在、「輸血」はまた危機にさらされている。
献血をする人が減っているのだ。
日本赤十字によると、2006年の年間献血者数は498万人で、500万人を下回った。10年前に比べると、約4分の1に減少している。海外渡航歴など献血が可能となる基準が厳しくなっていることや企業献血の減少も一因だが、一番の原因は若者の献血離れがあり、10代の献血者は年間で40万人程しかいない。
少子高齢化が進む現代で、医療で必要とされる血液が供給できるように、若年層の問題意識を高める必要がある。
なお、本田靖春は、「売血」を経験したために、晩年肝炎を発症した。
まさに、捨て身のジャーナリストである。
現在の献血・医療制度は、一人のジャーナリストの業績に支えられているといっても過言ではない。
by matsuyama-nagoya
| 2008-04-18 03:13